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読書記録

2022.10.05

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今住んでいる賃貸の1戸建てにはとても小さな庭がついていて
これが庭と呼べるような大きさではなくいうなれば花壇
玄関の横っちょに1m四方もないスペースがあり
もともとそこにはぎゅうと2階の窓まで届くくらいの木が一本立っていたのを
大家さんが貸しに出すときにおそらく切ってくれていた
そういう小さい庭がある

この小さい庭を私は大層気に入っていて
ときどき季節の植物を植えてはほったらかしにし、オオバコやらドクダミに占拠されてジャングルとなるものの、
「さてやるか」という気合一本で一掃できるくらいのスペースなのでリセットしやすい

そしてリセットして季節の花がちんまりと並ぶと
お隣さんが「かわいいなったねえ」と褒めてくれたり、
ご近所さんが何も言わずに鉢をお裾分けして置いていって彩を足してくれたりする

ジャングルになってきたらあそこのお母さん今手一杯なんやな、と思われ
小綺麗になっていたらあそこのお母さん一息つかはったんやな と思われているんだろうなと想像している
いわば私の小さなコミュニティスペースとして、
またうちの家族の(主に私の)生存確認的役割をこの小さな庭が担っているわけだ

この週末はその愛すべき小さな庭と少し並べた鉢に秋の草花を植えた
末っこ4歳の保育園の送り迎いのタイミングで彼女に水やりという仕事もしてもらいつつ
風にゆれるコスモスやらを眺めるのが嬉しいここ数日です



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そんなときにきなこさんの初著書「まいにちが嵐のような、でも、どうにかなる日々。」が届いた

まいにちが嵐のような、でも、どうにかなる日々。
作きなこさん
KADOKAWA


https://www.kadokawa.co.jp/product/322203002266/

きなこさんの文章に出会ったのは、数カ月前に話題になっていた
「マクドナルド友達」の記事を読んだときなのでファンとしては新参です

マクドナルドのカウンターに置いてある募金箱の写真のこどもについて
その子が付けているカニュラ、酸素を吸入するための透明の管がお揃いだったことから
きなこさんのお子さんが「お友達、退院した?」と尋ねるお話しで
エピソードはもちろん、こんなふうに生活を書く方がいるのかと魅了された瞬間だった

https://note.com/6016/n/n7ac08188bf4a

そこからnoteを遡りつつ、ツイッターでも追いかけ、
あるとき本を出版されるということを知り
その告知投稿を見た数秒後にはAmazonで「1クリックで購入する」ボタンを押していた

きなこさんの文章は淡々として一見コミカルなのに、
その奥にある気持ちの動きや状況が想像できてしまうのがすごい。
私はそれを、きなこさんの文章との距離の取り方がすごく好きだなあ、というふうに
自分の中で表現しているのだけど、文章との距離の取り方…
生活を文章で書くときの、自分の立つ場所の置き方… 目線… が、とにかくとても好きだ

そしてこの本ではryukuさんの優しいイラストもきなこさんの文章ととてもマッチしていて
よりきなこさんの世界の見つめ方が伝わってくる

言葉を紡ぐことは、きなこさんの(私には想像しかできないが)怒涛の日々、それこそ嵐のようなまいにちを、
「よっしゃ書くか私目線で私なりのやり方やけど」と整理して、
自分の中の箪笥に優しくしまっていく作業のように勝手に感じている

それは私も親業をやってきて実はとても大切な作業だと実感しているし
きなこさんがそれを本当に綺麗に頼もしくそれでいて自然に見せてくれるものなので
読んでいる方も追われる毎日の中で
「ああそうそう、私ここにいたんだった」と一緒に初心の部分にすっと立たせてくれる気がする

と偉そうなことを書いてるけど読んでる間、私はバスタオルを握ってダバダバに泣いていた。
一見淡々と紡がれる文字の奥から、
こどもというものが、こちらがあれこれバタバタしても何をしていたとしても
無償でくれるなんだか言葉にできない輝きのような、人の根源的なもの
関わってくれる周りの方々の存在や気持ち、
状況を確認して、受け入れて、決めて、受け入れきれないとこはどこやろかと奔走するきなこさんの気持ち
そういうものが流れ込んできて、悲しいとかそういうもんではない涙となり
ぼろぼろこぼれて溢れてしまるのが止められない

状況もおそらく歳も、住んでいるところも違うのに、どうしてこんなに寄り添いを感じてしまうのだろう
私はそれが、きなこさんが要所要所で「しんどい」「このままだとどうにもならない」「困り果てた」と素直に吐露してくれているからではないかと思っている
どうにも私たち母親というものは、「しんどい」と言いにくい雰囲気の中で暮らしているわけで
それは「しんどい」が、なぜかこどもや家族を傷つけてしまうというとこに繋げられがちだからだが
先に言った文章との絶妙な距離感のとり方だろうか、
きなこさんは「どうにも状況がままならない、しんどいし毎日怖い、おびえているし、葛藤もしている、自分ではどうにもならない、だから助けを求めたのだった」というところと、
「こどもたちが毎日、それぞれの命の形を生きていることがたまらなく愛しく、嬉しいのだ」というところが全く共存する、そういうものが生活なんじゃないかしら
と各エピソードを通して伝えてくださるもので、それは私にとって救いとなりました。


読後は夫にも薦め、彼も2日で一気に読んでしまった

うちも3人の子どもがいて、それぞれへの関わり方については
悩みや焦りがつきないけども、日々はどうにか続いていく

朝「保育園に行きたくない」とグズッていた末っ子は「楽しかった。Iちゃんと遊んだ」と帰ってきたし、
次男は最近ずっとYoutubeの人を食べる恐ろしい緑のキャラクターを嬉々として描き続けているし、
長男に「なんか困ってることないん」と聞いたら「算数がぜんぜんわからへんねん」と言っていた(じゃあお母ちゃん今度見るわな、元気あるときに…)。

毎日まあ色々あるけれど、きなこさんの本がお腹の奥でずっと漂っていて
「みんな生きてて偉い」とほめてくれている気がする

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